福岡高等裁判所 昭和36年(ネ)294号 判決 1962年2月27日
控訴人(原告) 田代八郎
被控訴人(被告) 福岡県
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は、控訴人の負担とする。
事実及び理由
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人は、控訴人に対し金三二二、〇八〇円、及びこれに対する昭和三三年二月七日以降支払いずみに至るまで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文と同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述竝びに証拠関係は……(証拠省略)……ほか、原判決の事実摘示に記載してあるところと同一であるから、これを引用する。
当裁判所も、控訴人の本件退職金支払い請求は、失当としてこれを棄却すべきものと判断するのであつて、その理由は、原判決の理由に説示されているとおりであるから、これを引用する。
すなわち、被控訴人福岡県が福岡地方裁判所昭和三一年(ル)第一号債権差押竝びに転付命令申請事件における第三債務者として差押債権者である訴外荒津光に対し控訴人に対し支給すべき退職金三二二、〇八〇円を昭和三一年五月九日支払いに及んだのは、適法有効であつたといわなければならないのであつて、成立に争いのない甲第一乃至第五号証を検討し、当審における控訴本人尋問の結果を参酌しても、右差押債権者に対する支払いを違法視する事由は、発見されない。退職金についてはその差押を禁止する規定もなく、恩給年金退職年金と異り一身専属的性質を有するものでないと解するを相当とするからである(昭和一二年一二月二二日大審院判例集一六巻二四号二、〇六四頁参照)。尤も昭和三二年一一月二〇日附でなされた当庁昭和三一年(ラ)第四九号決定書(記録八丁)によれば、前記訴外人荒津光によつてなされた債権差押及び転付命令の申請は却下され、被控訴人を第三債務者とする昭和三一年一月七日附債権差押竝びに転付命令は失効しているもののようであるが、被控訴人はこれに先だち昭和三一年五月九日頃その支払いをなすに際し、慎重を期し差押債務者すなわち控訴人、双方の出頭を求め、右差押債権者に対する支払いがもはや避けられない情況にあることを説示し、控訴人も亦これをやむを得ないものと諒承したので、右差押債権者に対する支払いを完了するに至つたことが認められる。従つて斯様な場合、差押債権者が民法第四七八条にいう債権の準占有者にあたることはまことに明らかであるといわねばならず、第三債務者である被控訴人がなした右差押債権者に対する支払いは債権の準占有者に対する弁済として有効であるといわねばならない。被控訴人の悪意を認めるに足る資料は何等発見されない。
してみれば、これと同旨の原判決はまことに正当であつて、本件控訴は理由がないので、民事訴訟法第三八四条第一項第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 中園原一 厚地政信 原田一隆)
原審判決の主文、事実及び理由
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金三十二万二千八十円及びこれに対する昭和三十三年二月七日以降右支払済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求めその請求の原因として
一、原告は福岡県教育庁教務部保健課に元勤務していたが昭和三十年十二月二十四日依願退職したもので、退職手当金として被告より金三十二万二千八十円の支給を受くべきこととなつた。
二、ところが訴外荒津光は原告に対し貸金残額金四十一万千四百八十五円の支払請求権を有するとして同訴外人を債権者、原告を債務者とする福岡法務局所属公証人篠原勲平作成第一〇九四六〇号金銭消費貸借公正証書の執行力ある正本に基き福岡地方裁判所に対して右退職金支払請求権につき債権差押及び転付命令を申請し、(昭和三十一年(ル)第一号債権差押転付命令申請事件)昭和三十一年一月七日被告を第三債務者とする右債権差押及び転付命令を得、該命令は同月九日被告に送達された。
三、然しながら原告は同月十六日右債権差押及び転付命令に対して福岡高等裁判所に対し、即時抗告の申立をなしたところ同裁判所は、右債権差押及び転付命令に対しては福岡地方裁判所に異議の申立をなすべきである旨の決定をなした。そこで原告は福岡地方裁判所に異議の申立をなしたところ、却下決定を受けたので、これに対し更に福岡高等裁判所に即時抗告をなした結果、昭和三十二年十一月二十五日に至り右異議申立却下の決定を取り消して、荒津光のなした前記債権差押及び転付命令の申請を却下する旨の決定があつた。
四、よつてさきに福岡地方裁判所が発した前記債権差押及び転付命令は無効であるから、被告に対し原告は正当な請求権者として前記退職手当金三十二万二千八十円の支払とこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和三十三年二月七日以降右支払済まで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める、と陳述し、被告主張の抗弁に対し「被告が本件退職手当金支払請求権に対する債権差押及び転付命令の送達を受けて、その主張の日時に退職手当金を訴外荒津光に支払つたことは認めるが、その余の事実は争う。原告が右支払の際立会つたのは被告から強いられたのであつて、自発的に立会つたものではない」と述べ、乙第一、二号証の成立をいずれも認めた。
被告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求め、答弁として「原告の請求原因事実はすべて認める」と述べ、抗弁として「被告は本件退職手当金を、これが支払請求債権の準占有者たる訴外荒津光に対し、善意無過失で支払つたので、重ねて原告に支払う義務はない。即ち被告は昭和三十一年五月初頃福岡県出納長室で、訴外荒津光に本件退職手当金の全額を支払つたのであるが、右支払に当つて、被告は福岡地方裁判所から適式な債権差押及び転付命令の送達を受けていたばかりでなく、原告も右支払いに立合い、且つ支払いに同意していたものである。」と述べ、立証として乙第一、二号証を提出し、証人植村肇、同谷口進、同荒津光の各証言を援用した。
理由
原告が請求の原因として主張する事実はすべて当事者間に争がない。そこで被告主張の債権の準占有者に対する弁済の抗弁について判断するに、訴外荒津光が原告に対し、貸金残額金四十一万千四百八十五円の支払請求権を有するとして、福岡法務局所属公証人篠原勲平作成第一〇九四六〇号金銭消費貸借公正証書の執行力ある正本に基き福岡地方裁判所に対してなした原告の被告に対する金三十二万二千八十円の退職手当金債権の差押並びに転付命令申請に基き、昭和三十一年一月七日同裁判所が被告を第三債務者として右債権差押及び転付命令を発し、昭和三十一年一月九日被告はこれが送達を受けたので同年五月初頃右荒津光に対して右退職手当金三十二万二千八十円全額を支払つたことは当事者間に争がない。しかして成立に争のない乙第一、二号証の各記載に証人植村肇、同谷口進、同荒津光の右証言を綜合すると、被告は右のように本件退職手当金支払請求権について差押及び転付命令の送達を受けたものの原告の懇請により暫時その支払を差控えていたが、債権者荒津光の催促もあつたので、原告が荒津に前記債務を有していることは原告も自認していたし、又恩給については法律上差押禁止の明文あるに反して退職手当金については法律若しくは条例上かかる禁止規定のないことから、債権者の支払催促を拒否すべき理由はないとの判断の下に、支払をなすこととしたものであるのみならず、同年五月九日福岡県教育庁教務部保健課元課長訴外植村肇が同課に荒津並びに原告の出頭を求めて両者の話合を試みたところ右退職金のうちから荒津は原告に金五万円を交付するかわり、原告は当時前記債権差押及び転付命令に関し、福岡高等裁判所に申し立てていた不服申立を取り下げる旨の了解に達したので、同日被告は、福岡県出納長室において荒津光に前記退職手当金全額を支払つたものであり、その直後荒津は同県庁内において、同行して来ていた原告に対して右の内から金五万円を交付すると共に残債務の支払を一切免除したことが認められ、乙第二号証の記載中右認定に反する部分は措信せず他にこれを覆すに足りる証拠はない。なお原告は、被告が本件退職手当金を荒津に支払うに際してこれに立会つたのは自発的にではなく被告から強いられたものであると主張するが、かかる事実を認めるに足りる証拠はなく、かえつて前段認定の事実によれば、原告は納得の上荒津に同行して県庁に赴いたものと認めるのが相当である。
ところで荒津光のなした前記債権差押及び転付命令の申請は、後日福岡高等裁判所において却下されたこと当事者間に争いなく、従つて同人がさきに福岡地方裁判所において得ていた前記債権差押及び転付命令は結局無効のものといわざるを得ないが、かかる無効の転付命令に基づき債権の行使をなした荒津光は、本件の場合前記退職手当金支払請求権の準占有者に当るこというまでもなく、かつ被告は前段認定の事情からして、右退職手当金を同人に善意かつ無過失で支払つたものと認めるのを相当とする。従つて被告のなした右支払は民法第四百七十八条により有効な弁済として保護され、重ねて原告に対して支払う義務はないというべきである。
よつて、被告の抗弁は理由があるから原告の本訴請求は失当で棄却さるべきであり訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。(昭和三六年三月一四日福岡地方裁判所判決)